心にいつも、江戸しぐさ

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上品(じょうぼん), 人生, 心意気, 江戸博講, 社会生活, 資料有り

終わりの始まり

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2013年3月
江戸しぐさ講 第12回
「はじめに」

当会は、昭和49年に社会教育団体「江戸の良さを見なおす会」として発足し、今日までの38年間、細々とではございますが活動を続けて参りました。芝講師がお亡くなりになられてからの13年間、私は一介の「講元」として会の運営係に徹し、「講師不在の講」という実にわかりづらい形をとって参りました。応援してくださる方々からはご注意をいただくこともありましたし、色々な方からの新たなご提案も多数ありました。

私がもたもたしていたその間、江戸しぐさという言葉は時流に乗ってどんどんと一人歩きして行き、芝講師が最も望まない形へと変貌してしまいました。これが私の力量不足がもたらした、最も嘆かわしい点でございます。江戸しぐさと言えば「芝講師」。そう言い続けることに集中しすぎてしまったのです。いくら芝講師の功績を讃えたからと言って、講演も、新たな執筆も、ご本人亡き後にお願いすることなど出来なかったというのに。

本日は、芝講師が望んだ「終わり」と、私が託された「始まり」について。そしてわたくしの決めた「終わり」と新たなる江戸の良さを見なおす会の「始まり」についてお話をさせていただきたいと存じます。

芝講師が望んだ「終わり」

 私の「自己紹介」と、「江戸の良さを見なおす会」
「江戸しぐさ」には、自己紹介という文化はありません。でも、いまは、欧米文化の時代です。そこであえてします。私は、悪い親に育てられたので、[虫歯]になりました。小さいとき2本か3本だったのが、戦争中の非人間的な精神・物質文化生活の追い打ちで、バラバラと悪くなり、現在に至っています。
なぜ、虫歯の事を申し上げるかというと、江戸しぐさでは、初対面の人を見るとき、お互いに「歯」を見たからです。江戸では、「歯」の良い事、強い事が、イコール「江戸の繁栄」に比例するという考え方でした。(注)耳・鼻・のど・手・ロクは、お茶論で でも。
そして、歯がだめになったら、人前で偉そうな事は言えませんでした。つまり、「ご隠居」となって、第一線から退いたのです。(自発的に)
だから、私は「人生閉店」を決めていたのです。
それが越川先生のお陰で、生殺しにされて 引っぱりだされてしまいました。(注)江戸しぐさで、物事や人物に感じて動かされる事を「生殺し、とか、半殺しの目に合う」と申します。
そういう次第で、今夕、お化けのように出て参りました。ご了承ください。

私は「江戸しぐさ」などに(本音を言えば)全然、興味がありません。あんな
ものを、「いまごろやったって!?」と、心の中では思っています。(四六時中)
でも、「むかし天皇、いまテレビ!」とか申します。マスコミ、なかんづくテレビ・新聞は、大勢の番人です。したがいまして、この力強い「お犬様」に逆らうつもりはございません。
私が問題にしているのは、江戸の「お講(てだて)生活様式」です! 平たく言えば、「暮らし方」です。時間・居住空間・食糧などを共有するという生き方です。そのための「素材」が、実は江戸しぐさなのです! その意味で、「江戸しぐさ」云々と言われるのならば、仕方がないと承知して、つたないペンを取らせていただくこともございます。が、あくまでも本命は「講式リビィング」なのです。つまり、生活に大事なものを共有し、「共生」するという暮らしです!
そういう訳で、私は二十数年前に、「江戸の良さを見なおす会(え)」というシステムを考えて世間の良識ある人々に呼びかけたのです。(結果は、理解・賛同者が少なくて失敗でしたが、)
ところが、はからずも米国に、なんと「江戸式のお講システム」があったのです。あったというよりも、考え付いた方がいらっしゃったのです。マ・キ様!です。
驚いたことに、早くも その暮らし方を日本に輸入した人がいらっしゃったんですね!それが「ひめこ女王」だったんです!これは、ノーベル賞ものだと、私は思っいるのです。
この「生き方」をしなければ、「江戸ブーム」や江戸しぐさなんて、クソくらえだと思います。

[浦島太郎のFAXレポート]より
「終わり」のお手伝い

芝講師のこのようなお考えや思いを託され、平成21年8月から月1回の講を開催してまいりました。芝講師がお亡くなりになってから、その時すでに10年という年月が経っていました。もちろんその間何もしていなかった訳ではございません。私は10年間、芝講師の「終わり」のお手伝いを粛々と続けておりました。

人間が一人この世から消える。感情だけであれば、寂しい、辛い、恋しい、それだけのこと。しかし現代社会において、人の終わりに付き合うということは生半可なことではございません。床についた時間が長ければ長いほど、そばにいる人間の消耗は激しくなります。そうして疲弊しているところに半端ではない量の手続き。大事な方の痕跡を消すという手続きを、悲しみをこらえながら行うことは多大なエネルギーを消費します。

そして次にくるのは遺品の整理。これも本来ならご家族がすることでしょうが、みなさまご承知の通り、芝講師は江戸しぐさ普及に専念する為にお一人でいることを選ばれました。従ってこちらも私がお手伝いさせていただくことになったのです。主にこちらに10年をかけたと言っても過言ではございません。

作家や芸術家でしたら作品をまとめて年表を作り、机の上の原稿を揃えて万年筆を磨いたりアトリエをそのままの形で保存すれば、ある程度遺品整理は終わりとなるかもしれません。しかし芝講師がお残しになったものは「江戸しぐさを貫いた一人の人間の生き様」でした。しかも身の回りの整理整頓は日課であった方の遺品です。単なる包装紙1枚、手書きのメモ1片に江戸しぐさのヒントがあると生前から教えていただいており、どれも簡単に処分なぞできません。それらに残された意味をみつけ、まとめる作業は現在も終わってはいないのです。

「終わり」と「始まり」

芝講師の「終わり」のお手伝いをしながら意思を継ぐべく「始まり」の準備をした結果、ようやく月1回の講という形を取ることができました。当初は昼の1回。暫くして「夜でないと参加できない」という声を頂き、昼と夜に1回ずつに増やします。更に「もう少し行きやすく、江戸しぐさらしい場所でやって欲しい」という声にお答えし、夜の講を江戸東京博物館に移して開催して参りました。

「江戸しぐさは講演するものではなし。講に集って語り合うもの。」という教えにのっとって、極力講演会ではなく「講」という形にこだわってしまった結果、労力に見合う結果が出せなかったことが無念でなりません。しかしこれも「講師不在」を貫いた証。芝講師に38年師事し、会の運営を36年やってきた私であっても、自らを一番弟子や講師などと名乗ったりしようなど思いもしませんでした。ましてや江戸しぐさを聞きかじっただけで、自ら講師と名乗る方や自称最後の弟子が出現するなどとは、考えも及ばないことだったのです。

江戸しぐさは誰のものでもございません。先人の知恵の結晶です。名付け親である芝講師であろうとも、専売特許を取る訳にはいかないのです。ですから「弟子」なんぞ始めから取るはずがありません。しかしながら、誰もが江戸しぐさを学ぼうと講を開くことは出来るのです。

ピラミッドの頂点に据えられた「偶像」だけにはなりたくなかった芝講師です。自らの財産はもちろん、社会的地位、家庭、家族をなげうって江戸しぐさの普及に尽力されたその生き様を見れば明らかです。そして私も、利益の出ないこの活動に青春時代から身を投じて参りました。ですから芝講師の功績を、全くの他人がさらっていくことに、長年胸が苦しい思いをして参りました。しかしそういった負の感情を、ようやく終わらせることが出来そうなのです。

「終わりの始まり」

「一人でも多くの方に江戸しぐさを、芝講師を知っていただきたい。」それだけの思いでここまで続けてきてしまったことに、自分でも驚きを隠せません。ただ、このような形もそろそろ終わりにする時期がやって参りました。その終わりとは次のステップ「終わりの始まり」のためのものです。

私自身が江戸しぐさにのっとった生き方を実践し続けるためにも、定期的な講の開催は一旦終わりにいたします。しかしありがたいことに現代は学ぶため、情報を発信するために実に様々な方法がございます。今後の活動については、メールアドレスをお教えいただいている方にはメールにてお知らせいたします。または4月以降、当会のホームページにてご確認ください。http://www.edonoyosa.jp

このたび定期講を終わりにすることは、私の新たなる人生の始まりと江戸の良さを見なおす会の次のステップへと繋がっております。

本日お越しのみな様をはじめ、これまで江戸しぐさを一緒に考えてきてくださったすべての方々のご厚意に感謝いたします。
これからも皆様が江戸しぐさにのっとった毎日、人生をお過ごしくださることを、心から願っております。

江戸の良さを見なおす会
代表 和城伊勢