心にいつも、江戸しぐさ

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中品(ちゅうぼん), 人間関係, 年中行事, 心意気, 日常生活, 江戸博講, 資料有り

睦の月(むつみのつき)

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2013年2月
江戸しぐさ講 第11回
「はじめに」

睦月(むつき)・陸び月(むつびづき)・睦びの月(むつびのつき)は、旧暦1月(新暦の1月から3月上旬)の和暦・和風月名(わふうげつめい)最初の月です。
「睦ぶ(むつぶ)」には、むつまじくする、仲良くする、親しくする、の意味があります。

月名は世界各国にありますが、古代ローマ暦からなる英語の月名が一般的でしょう。英語では1月の事をJanuaryと呼びますが、これは万物を支配する神ヤヌス(ラテン語)から来ています。双頭のワシに象徴されるように、始めと終わりというような物事の二面性を表します。

古代マヤ暦の1月「ポプ」は動物のジャガーで、ナポレオンが廃止したフランス革命暦の1月は「ヴァンデミエール」葡萄。古代ギリシアの1月「ヘカトパイオン」の意味は100フィート。古代エジプトの1月「トト」は知恵を司る神で、イランの1月「ファルヴァルディーン」は森羅万象に宿る霊的な存在のこと。

このように物事の始まりにあたる月ですから、どの国も何かを象徴するような「1月」なのですが、日本は「仲良し」をもってきたのです。そしてそれを何の疑問も持たずに使い続けていることを改めて考えてみると、日本人とはなんと穏やかで友好的、そして平和を愛する民族なのでしょうか。私はそういう日本人が愛しくてなりません。

「仲良し」

日本人は主に農耕民族だったので、土地に縛られ狭い地域での集団生活つまり社会生活を余儀なくされてきた、という説があります。もちろん領土争いはいつの時代もあったでしょうから戦いがなかった訳ではないでしょう。
一方狩猟民族のように、少人数で獲物を追って移動しながら暮らした場合、いつどこで縄張り争い(対動物、対人間)が起こってもおかしくないという日常になります。常に敵を倒さないと生きていけない状況では「仲良し」という文化の芽生えは望めません。

こういった違いが、敵を倒して「勝つ」ことに重きをおくか、極力暴力を行使しないで平和的に収める(棚上げにする、なぁなぁにするとも言います)ことを選ぶかといったお国柄を作り上げてきたのでしょう。

「仲良し」は、友情や愛とは少しばかり違います。好き嫌いや愛のある無し、信頼するしないといった両極端ではないのです。例えば「ご近所と仲良く」と言った場合、向こう三軒両隣とは極力諍いの無いようお互いが気をつけることを意味します。仲良しは日本の社会生活の基本中の基本とも言えます。

諸外国でももちろんご近所付き合いは重要なのですが、一番はやはり自分の権利を守る事。日本のように「お互い様」や相手との「痛み分け」という感覚はあまりないようです。その一方で、日本ではまだまだ浸透していないボランティア活動といった社会奉仕にかけての教育は特に欧米では見事なものです。どちらが良いではなく、良い点を互いに見習い合っていけたならと思うのですが、そんな甘いことを言っていては日本が乗っ取られてしまうかもしれない…

そんな時代に突入してしまいました。

「睦び」

 睦び 「慣れ親しんで心安くなる事。親しみ。親睦。挨拶。」

[広辞苑より]

「仲良し」は友情や愛情よりも稚拙なものとされているようですが、私の考えは少し違います。社会生活を行う上で他人との共生は不可欠です。他人と仲良くできるスキルが、今特に必要とされています。

個人主義と言われる西欧諸国ですが、挨拶一つとってみても気軽なスキンシップに始まり、よく知らない同士での声掛けなど、表面だけ見ると日本人の目には「なんて友好的な人たちだろう」と映るわけです。「彼らは陽気であけっぴろげなんだ。だからこっちも遠慮しないでどんどんぶつかっていこう」などと思ってしまったらさぁ大変。こっぴどい目にあうこと間違い無しです。なぜなら、

・ 挨拶のハグやキスは、互いの心の距離を瞬時に計ってからその度合いを決める
・ 知らない人へ声をかけるのは、その時の自分の感情と同レベルの人を見極めてから
・ 人のプライバシーを侵害しない

これらをクリアーせず陽気に「ハーイ」と向かっていっても、返ってくるのは冷たい視線だけでしょう。
このように天真爛漫な振る舞いに見えていても、実は非常に難易度の高いコミュニケーション能力が必要なのです。たかが仲良し、されど仲良し。誰かと仲良しになろうと思ったら、江戸しぐさを実行することをお勧めします。睦びのしぐさは海外に行っても通用するのです。

例)すれ違いのまなざし、うかつあやまり、人を本名で呼ばない、子供に対する親の言葉、
ありがとう、こぶしうかし、つかのま付き合い などは世界共通の「しぐさ」です。
睦びは「持ちつ持たれつ」

近隣諸国からの攻撃、嫌がらせが続いています。それらの国が何かに困っていると聞くと、ある人は「自業自得だ」と言います。ある人は「日本も昔は迷惑をかけたのだから、しょうがない」と言います。またある人は「過去に何があろうが、今困っている人は助けなきゃ」と言います。他にもたくさんの考え方、意見があることでしょう。そしてそれらのどれもが正解にも不正解にもなり得ます。

「また稚児問答が始まった」とお思いになるかもしれませんが、こうやって考えることが江戸しぐさなのですから仕方ありません。江戸しぐさの「しぐさ」は絶対的なものでなく、時代や状況、それぞれの立場などによって変化するものなのです。しかし概念というか、根本にあるものは不変です。血縁であっても他人は他人。その他人同士が争う事なく共存していくにはどうしたらよいか。常にそれぞれが考え、失敗しながらもよりよい状況を作り出してゆく。芝講師はすべての人に必要な生涯学習の教材として、江戸しぐさを普及しようとなさったのです。

しかし「こっちは我慢ばかりでやられっぱなしというもの癪に触る」というのが多くの方の本音ではないでしょうか。そこは江戸しぐさのもう一つの面、商人しぐさの出番です。決して損はしないように、でも相手の役にたつように。日本は国としてもっと商人根性を露骨に出していいのではないでしょうか。「良い品や技術は惜しみなく提供するが、ちゃんと元は取る。」

この「元を取る」が日本人は苦手なのですね。そういうときこそ呟いて頂きたい。「睦びは持ちつ持たれつ」と。友達関係であっても国際関係であっても、仲良くするには必要なキーワードだと思うのです。

(抜粋)
さて、一月は旧の呼び方で睦月(むつき)と言いましたね。むつきのムツは仲むつましいとかむつまじいで、むつびづき、むつびの月などと、私の祖父母の世代までは言っていました。
睦の字、目へんにリク、ロクを書きますねぇ。子どもみたいに言えば、目の字のこっち方に、陸の字の右っ方を書く、「親睦会」の睦ですねぇ。ひっくり返して睦親とも言いますが、
つまり、陸の字のツクリの (ろく)は、小高い丘で、これを目の字のヘンに付けると、目で相手を見上げるとか、「相手の良いところを見つめる」となって、相手に「敬意を表す」となりますね。江戸の寺子屋では、そのように教えていたようです。
ですから、一月は年の始めで、「お互いに相手の良さを見直し、仲の良さを確認し合う月」の意味、これは(私は)実にうまい呼び方をつけたものと、毎年お正月になると、まず 思いますね。
(抜粋)
それが、無くなってしまって、お正月から 互いに欠点を見付けて言い合っているのが残念と、(私ども)は言っているわけです。

江戸しぐさ「一夜一話」むつきの巻(’94.1.28 金) より抜粋
本日のまとめ

イスラム暦では1月はムハッラム。これは「戦いを禁じる月」だそうで、2月はサファル「戦いでうつろな月」、11月はズルカイダ「戦いのない月」。それが日本では「睦月」なのです。
月名一つとってもこれだけ名前も違えば解釈も異なるのですから、全世界が一つになるなんて夢のまた夢のように思えます。

私は政治家でも外交官でもございませんので、世界における日本の立ち位置やこれからについて、偉そうにお話出来る立場ではございません。ただただ、戦争や紛争がなくなれば良いと願う一人の日本人に過ぎません。ところが、そこに芝講師直伝の江戸しぐさというエッセンスが加わると、あら不思議。自分一人では何の力も無いと思っていたのに「正しい事をしよう」というパワーがみなぎってくるのです。

こうして普及活動を続けている江戸しぐさですが、もっと広く世の中に、そして世界中に知って頂くにはどうすればよいか。頭を悩ませる日々が続いております。

江戸の良さを見なおす会
代表 和城伊勢